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仙台市長選 立候補者プロフィール

7/14の河北新報に、各候補者のプロフィールが掲載されていました。
http://www.kahoku.co.jp/news/2009/07/20090714t11024.htm

岩崎恵美子さん(65)/世界の医療現場で活動

 気付いたらすぐ行動に移す。50歳で臨床医を辞め、インドに飛んだ。タイで熱帯医学を学び、仙台検疫所時代は志願し、ウガンダエボラ出血熱の治療に当たった。立候補を表明したのは、梅原克彦市長が出馬を断念した5日後。告示まで1週間を切っていた。

 「さまざまな出会いがチャンスを生み、私を変えている」

 耳鼻科医の両親を見て育ち、医師を志した。留学先の米国で出会った医師の影響で、人生を25年区切りで考えている。現在は50歳からの「社会のために生きる25年」を突き進む。

 国内外の医療現場を歩いた後で、厚生労働省、市役所に入った経験から、健康福祉を公約の柱に据える。「少子高齢化社会が進み、今までの政策は転換が必要。予防に予算をつぎ込むことで、医療費を抑えたい」と抱負を語る。

 副市長になり、妊婦健診費用の補助の拡大や新型インフルエンザ対策などに携わった。市民と近い位置で進める行政の重要性を痛感。地方が地道に必要な施策を行い、声を上げていけば、国を動かせることも知った。

 多賀城から移り住んで2年になる仙台は「緑が多く恵まれた街」と感じる。定禅寺通、広瀬川、横町…。すべてがお薦めスポットだ。「市民は仙台の良さにもっと自信を持ってほしい」とも言う。

 趣味は油絵。市職員の展覧会には毎年、出品した。気分転換には、自宅の電子ピアノでショパンを奏でる。

 長男(40)、次男(38)、長女(36)と離れ、青葉区で暮らす。選挙戦中、愛犬2匹はペットホテルに預けた。たまに会って癒やしにする。

佐藤 崇弘さん(29)/信念貫いた竜馬に共感

 「世の人は我を何とも言わば言え 我が為す事は我のみぞ知る」。幕末の志士、坂本竜馬の言葉に共感している。「変人扱いされながらも、信念を貫いた人」と、竜馬の人生にあこがれる。

 「何事もやってみなければ分からない」が信条。2005年12月、仙台市に障害者雇用を支援する会社「ウイングル」を起業した。首都圏の企業に正社員として雇用された障害者が仙台市さいたま市といったウイングルの拠点施設などで、パソコン入力作業を行う。「王道では大企業に勝てない。誰もやっていない分野は挑戦しがいがある」と経営論を語る。

 起業の原点は学生時代だ。1浪したが希望する医学部進学を断念。宮城大事業構想学部に入学した。叔父がダウン症だったことで障害者雇用の現状に関心を持ち、泉区で通所作業所を開設した。「作業所のほとんどが保護者による運営。やる人がいないと知り、自分でやろうと思った」

 公務員を経験したこともある。04年9月、「とりあえず応募した」長野県の全国公募で課長級職員に採用された。

 当時の田中康夫知事から受けた任務は「ゼロ予算で収入を上げる」。しかし、1年で退職した。「役所は失敗しづらく、仕事が成功しても評価されない。評価や組織の仕組みを変えない限り、頑張る人材が報われない」と強調する。

 趣味はスポーツで特にサッカー。読書はビジネス誌や経済誌が多いという。東京都港区で一人暮らし。選挙期間中は青葉区上杉の短期賃貸マンションで生活する。「仙台は学生時代からお世話になった人が多く、恩返しがしたい」と話す。

渡辺  博さん(59)/市議6期の経験生かす

 立候補を思い立ったのは2年前の晩秋。「独断専行型の現市政を変えなくてはならない」との思いに突き動かされた。市議6期の経験を生かし、市民主役の市政実現に身を賭そうと決めた。

 「情は風霜のごとく、義は金石を貫く」としたためられた書が、居間に飾られている。市長選の準備をしていた昨冬、支持者の書家から贈られたものだ。今は座右の銘としてかみしめている。

 政治とのかかわりは約40年前にさかのぼる。「海外で資源開発などの国家プロジェクトにかかわってみたい」と東北大工学部に進学。学生時代、故三塚博氏の選挙事務所で下働きをし、衆院議員の初当選に立ち会った。

 卒業後、東北金属工業(現NECトーキン)に入社したが労働争議に違和感を覚え、1年で退職。三塚事務所の門をたたき、秘書へと転じた。

 「三塚さんは地盤も看板もなかった。支援者の力を積み上げながら道を切り開いた姿が、わたしにとって原点」。1987年、市議に初当選。同じ政治家として、23年に及ぶ歩みを重ねてきた。ライフワークとして向き合ったのは、JR仙台駅東口土地区画整理事業。大プロジェクトに翻弄(ほんろう)される地域の戸惑いや怒りに耳を傾け、市役所の姿勢に疑問を抱いた。「統治機関はいらない。情報公開と直接対話を重んじ、名実ともに市民の役に立つ場所に」というのが持論だ。

 趣味は山登り。大学時代は蔵王を縦走した。「ひたすら山頂を目指し、その後の達成感がいい」。宮城野区原町の自宅で妻明美さん(53)、会社員の長女(26)、高校生の長男(17)の4人暮らし。

奥山恵美子さん(58)/女性の社会参画を支援

 現職の梅原克彦市長の政治手法に異を唱え、33年間務めた仙台市役所を3月に辞職。閉塞(へいそく)感に覆われた市政を変えようと、市長選への出馬を決めた。

 「勇気ある決断」「上司への裏切り」と評価は分かれたが、「対話、納得、実行のプロセスを大事にし、市民と一緒に走る行政を目指す」と信念は揺るぎない。

 市役所に入ったのは、男女雇用機会均等法施行前の1975年。東北大経済学部に在学中、「民間企業の就職は男女差がありすぎる」と痛感し、公務員を志望した。

 庁内では、「常に市民と接する現場にいた」という自負がある。最初の担当は消費者の苦情相談受け付け。利害が対立する消費者と事業者の間で右往左往しながら、「多様な見方で当たれば理解し合える」と学んだ。

 32歳で女性上級職初の係長となり、男女共同参画の拠点施設「エル・パーク仙台」の開設に携わる。女性企画課長、「せんだいメディアテーク」初代館長、教育長とキャリアを積みながら、多くの女性団体とかかわりを深めてきた。

 家庭の外で社会活動に参加する女性は少なかっただけに、「やりがいを持って社会とかかわることが大切」と呼び掛け続けた。「仙台の市民活動の育ての親」と慕う女性は多い。

 普段は太白区の自宅で一人暮らし。夫の忠信さん(59)は大学教授、長男(32)は研究員、長女(28)は大学講師という研究者一家で、いずれも関東で働いているが、告示日は家族そろって応援に来た。「楽天的な性格の母親を気遣い、支えてくれている」と感謝を込める。

椿原 慎一さん(47)/第二の故郷へ熱い思い

 今月上旬に出馬依頼があり、すぐ応じた。「仙台にはいつか戻りたいと思っていた。恩返しがしたい」と、思いを語る。

 故郷・札幌市を離れ、東北大の学生、研究生時代を中心に12年近く仙台で過ごした。家賃月1万5000円で4畳半の部屋で下宿していたころ、敷地内に住む大家さんが家族のように接してくれ、感激したという。

 「仙台は人情があり、懐が深い。世界に誇れるまちにしたい」と、決意を口にする。

 子どものころ、宇宙から見た地球の美しさにひかれた。「地球はどんなことになっているんだろう」。基礎研究が充実している東北大一本で受験。1浪して入学し、博士課程修了後も研究生として地質学に没頭した。

 宿泊代を値切って旅館に1、2カ月泊まり込み、北海道や東北の山々へ。川沿いを上り、尾根を越えながらハンマーで岩石を削り取り、地質の分布などを調べた。地滑りについても学んでいる。

 それだけに、地震防災について、「100%の予知は難しく、大事なのは二次災害をどう防ぐか。地滑りが起こりやすい場所などについて事前に予防し、対処方法について住民に知ってもらえるようにしないと」と、持論を熱く語る。

 尊敬する人は故松下幸之助氏。「自社を大きくするだけでなく、経営を通じて多くの人々を幸福にしようとした志がすごい」と話す。映画やドライブが趣味で「ドライブは、生活のにおいを感じられる狭い路地などを走る方が好き」だという。妻明見さん(42)と住む静岡市のアパートを離れ、青葉区五橋の短期賃貸マンションで一人暮らし。

柳橋 邦彦さん(68)/民間の経営感覚を導入

 「役所出身の市長が続けば、市政はますます硬直化する」

 5期18年務めた市議を辞め、不退転の覚悟で出馬を決めた。「官から民へ」を合言葉に、民間の経営感覚を生かした行政への転換を訴える。

 1964年、日大芸術学部を卒業後、広告代理店に就職したが、1年弱で家業のねじ販売会社を継ぐため仙台に戻った。自動車から電気、配管工事へ販路を開拓。事業を拡大していった。その傍ら泉青年会議所の設立に携わるなど、地域活動や社会奉仕活動に精力的に取り組んだ。

 政治の道を志したのは、87年の泉市議補選。仙台市との合併反対を唱える候補が、無競争で当選する公算が大きかった。「泉市の発展には合併が不可欠。みすみす反対を認めるわけにはいかない」と一念発起。立候補に踏み切った。

 結果は2500票差の落選。真っさらの新人の選挙で一緒に汗、涙を流してくれた仲間たち。「選挙に失敗して、支えてくれた人たちの大切さが身に染みた」とかみしめながら振り返る。

 4年後の仙台市議選に再挑戦し、2位の得票で初当選。その後は5期連続で当選し、2005〜07年には市議会議長を務めた。

 妻の昌子さん(68)とは45年前、山梨県の山中湖で出会った。その翌年、交通事故に遭い3カ月入院。昌子さんは家族の反対を振り切り、大阪から見舞いに来てくれたという。「この人だ。イチコロだった」と、結婚を決めた理由を照れながら打ち明ける。

 泉区向陽台の自宅に「今もラブラブ」の昌子さんと、長女(41)、孫(4)の4人で暮らす。

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2009仙台市長選挙の候補者まとめ(7/9版) - Akio’s Log